名古屋市公会堂にて創立総会が開かれ19団体、38名の参加があり「名古屋山岳連盟」が発足した。
御在所岳、藤内壁に岳連の山小屋である「北谷道場」を建設
太平洋戦争中に停止していた登山活動が再開され、「名古屋山岳連盟」として活動を再開した(会長:伊藤秀五郎、7-8団体)
山岳連盟の活動を広域化しようとする動きを受け、静岡・岐阜・三重などを統合し、「名古屋山岳連盟」を「中部山岳連盟」と改称した。
「中部山岳連盟」を「愛知県山岳連盟」と改称した。
名古屋市体育協会の下部組織として「名古屋市山岳連盟」が結成された。
第5回国体が愛知県で開催され、山岳競技を三重県の御在所岳を中心に実施した。初めて岩登りコースを採用し藤内壁が利用された。
「北谷道場」を「北谷小屋」と改称した。
御在所岳藤内壁で愛知県山岳連盟主催の氷雪技術講習会を実施した。
愛知県山岳連盟主催の岩登り講習会を定光寺の岩場や御在所岳藤内壁で開催した。
日本国内での登山熱が高まり各地に山岳会が誕生した。愛知県山岳連盟の加盟団体数が60余団体となる。
組織の強化と改革を推進し常任理事制度を導入した。
(日本山岳会がマナスルに初登頂)
愛知、岐阜、三重三県から隊員を集めたヒマラヤ遠征隊を派遣した。
2月15日に愛知岳連ニュースを創刊した。
12月27-1月5日 中京山岳会南岳東南陵初征服した。
2月10-14日 第6回全日本登山体育大会[北海道・大雪山系]で最優秀県となる。
- 1月2日 愛知大学山岳部の13人が薬師岳で遭難 愛知大学山岳部は岳連に未加入であったが愛知岳連が救助活動を実行した。
- 5月 愛知岳連の会長荒川勘五郎氏が全日本山岳連盟副会長に就任した。
5月 愛知岳連ダウラギリⅡ峰遠征隊がシェルパ3名の死傷者を出す事故により登頂を断念した。
- 愛知岳連主催のニュージーランド・アルプス遠征隊を派遣し、日本人女性初のマウントクックに登頂に成功した。
- 遭難対策連絡会議が発足。春山、夏山、冬山のシーズン開幕前に開催する。
- 6月28日加盟団体員登録制度を実施
- ペルーアンデス遠征隊がサルカンタイ峰(6,271m)、ソライ峰南稜(5,830m)に初登頂
8月31日 台風23号の集中豪雨により北谷小屋が流出した。
1972年(昭和47年)8月20日 北谷小屋の再建設が完了し小屋開きをした。
日本、イラン合同ヒマラヤ遠征隊がマナスル主峰に初登頂した。
愛知岳連主催の第12回中日登山教室(穂高岳)で生徒1名が落石事故
3月2-3日 国体審判員研修会を開催した。
- 3月27日 山びこの丘に登はん競技用人工岩壁が完成し竣工式が行われた。
- 10月28日-11月2日 わかしゃち国体[奥三河山系]愛知県が天皇杯・皇后杯を獲得
全国自然保護委員会総会を県民の森で開催した。
第38回全日本登山体育大会を御在所岳周辺で開催(三重県と共催)した。
- 4月16日 愛知県山岳連盟60年史「あゆみ60年」を発行した。
- 60周年記念事業としてアンナプルナⅠ峰愛知岳連登山隊を派遣、アンナプルナ北壁で連隊2名が雪崩で死亡
2月22日 第9回ボルダリング・ジャパンカップで藤井快選手(中京大学)が3位
12月12-13日 山の日制定を祝う会(御在所岳、北谷小屋)を開催し加盟団体の代表者や会員が集う。
日本山岳会創立110年記念で「インド・ヒマラヤ」の編纂に尽力した沖充人氏(中京山岳会)が日本山岳グランプリを受賞した。
- 4月1日 個人会員制度(限定的)が始まる。
- 愛知スポーツククライミングクラブが愛知県山岳連盟に加入した。
- 9月30日 -10月1日 山岳医師・山岳看護師を講師に迎えて無雪期救助技術講習会を開催(鈴鹿北谷小屋周辺)
- 茨城ゆめ国体の成年女子ボルダリング種目で倉・石井組が優勝した。
- 11月6ー9日 SCアジア選手権ボゴール大会で倉菜々子選手が3種目で準優種
新型コロナウイルス蔓延防止のためスポーツやイベントの延期や中止が相次ぐ。
- 2月6日 第17回ボルダリングジャパンカップで倉菜々子選手(愛知岳連)が優勝した。
- アジア競技大会準備委員会を設置した。
2月4-5日 ボルダージャパンカップ2023で佐野大輝選手(愛知岳連)が準優勝した。
- 9月16日 設立総会が行われ一般社団法人 愛知県山岳・スポーツクライミング連盟が設立された。
- 10月3日 愛知県山岳連盟は解散総会により解散した。